
箱根プリンスホテル
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村野藤吾の設計によるこのホテルには、何度か見学に訪れている。しかし、一度ゆっくりと宿泊をしたいと思っていた。
時代を感じる部分は確かにあるが、随所に<変わらないもの>がその価値を現す。遠からぬ所にあるリゾート。それは足を止める時間のちょっとした差によって、全く違って見えるものだ |
パリ・ピカソ美術館 |
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スティーブン・ホールの世界を先取りしたようなインテリアが写真を見て印象に残っていた。スカルパが亡くなる前に描いていたスケッチにこのパリ・ピカソ美術館のものがあり、「スカルパがやっていたら・・・」と言う先入観があった。それ故、此処にはなかなか足を踏み入れることが出来なかった。既存の古い建築の重厚感に対して、手作りの跡が残る照明器具などを対比させているその内部は古いモノと対決するというような緊張感よりも、むしろユーモラスな柔らかさを持っている。大人になってやっと「子供のように描けるようになった」天才ピカソの到達点に照準が合っているのかも知れない。強く印象に残ったのはこの地下空間。より元の建築が持つ力強さが表現されている。
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マーチャーシュ教会 |
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ブタペスト・ウィーン・プラハ・パリと廻るツアーに参加した。学生時代に大学の建築視察ツアーに参加して以来の添乗員さんの居る旅。全て連泊で半日から一日は自由時間があったので参加を決めた。
これは中に入ると目を疑うような鮮やかな装飾が施されたこの教会の中で、急いで描いたスケッチ。此処は何か印象が強かった・・・という記憶が前回残っていたが、あえてその時のスライドなどは確認せずに旅立った。かくして、軽い興奮の中、集合時間までの5分程を使って描いたスケッチ。 最高気温が氷点下以上にならない都市を廻ったので余りスケッチは残っていないが、ハプスブルグ家の影響を受けた都市を主に廻るということと、世紀末建築の近辺、特に意識したのはA・ロースの建築だった。旅立つ前に見せて頂いた横河健氏のオープンハウス案内に「ラウムプラン」という言葉があったのもきっと<繋がっている>のだろう・・・と自身のテーマを勝手に強化させての旅立ちであった。ウィーンやプラハでA・ロースの作品を見たが、まだ整理はついていない。文献などを探し、再読中。しかし、その不思議な空気は隆盛を誇ったハプスブルグ家の文化と無縁ではないだろうし、ましてや「装飾は罪悪である」というロースの言葉を表面だけ読んで<近代の始まり>と括ってしまうのも違うと感じた。もっとパーソナルな情念や、倒錯した思考回路が白い箱に無理矢理詰め込まれているような不気味さがそこにはある。ヴィトゲンシュタインのストロンボー邸も見ることが出来た。外観こそロースと近いものがあるが(ロースの弟子が協力している)求めているものは180度違う。それは研ぎ澄まされた刃物のような建築だ。 |
済生館 |
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学生の頃からずっとcubeというトリオユニットを組んで、ゆったりとした音楽活動を続けていた。そのピアニストである親友が山形で結婚をした。元々山形の人で、いずれ帰るだろうからそれまで・・・というつもりで活動していたのだが、いよいよそれが現実のものとなった。楽器を抱え、披露宴で何曲か演奏し、帰路山形駅の近くでこれを描いていた。建築を見て描いていたのか、今までの音楽活動を振り返るために描いていたのか・・・そんな気持ちにさせる一枚のスケッチ。
直前に製作したCDが唯一きちんと残った音源となった。 |
帝国ホテル 玄関 |
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設計したブティックのオープニングパーティーの後、岐阜から犬山に向かった。明治村の玄関からここに直行する。初めてこの玄関を見たのは大学を出てすぐの頃、その後アメリカのものを含め沢山のライト作品を見たが、この建築は又独特の空気を持っている。大谷石の質感やテラコッタの使い方も独特に感じる。ここに来るたびに、もし東京に玄関と食堂だけでも残っていたら・・とつい考えてしまう。きっと、とっておきの時にはそこで食事をしただろう・・・。と
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レーモンド夏の家 |
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軽井沢のレーモンド夏の家が現在は移築されペイネ美術館になっている。
涼を求めて訪れる機会も多く、何度も此処に通っているが新鮮さを失わない。同じ建物を長い間間隔をあけて何度も見ると言うことは、自分自身の変化と向き合うと言うことでもある。建築を鏡に自問自答。 |
神奈川県立近代美術館 |
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展示室を見終わるとこのピロティに出てくる。陽光は平家池に反射して天井に水の揺らぎを伝える。この空間に佇みたくて入場してしまうこともある。1951年、坂倉準三50歳の作品。
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二期倶楽部 |
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渡辺明氏設計のオーベルージュ
講演会で渡辺氏に初めてお会いしたときに「建築の中に響く音についてどう思われますか?」と不躾な質問をしてしまったことがある。その答えは自分の耳で確かめるのべき・・・そう思い、此処に出掛けた。上質な空気の流れる空間。そして、こだわりの食事。何度訪れてもきっと素晴らしいのだろうと思う。 |
東大寺 南大門 |
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新雪の室生寺で、ある写真家に出会った。
それ以降、時候のやりとりが続いた。何年か過ぎたある日、モノクロームで美しい風景を写し取るその写真家・若松保広氏より個展の案内葉書が届いた。葉書には一筋の滝が黒い背景に落ちていた。それを見た瞬間どうしてもオリジナルプリントを見たいと思い、急遽一泊の奈良行きを決めた。 滝の写真は一種の霊気すら感じさせるものであった。又焼けた木像が多く撮影されていて、その背景にある歴史を想像させ、ある種の凄味をも感じた。その凄味について考えながらこの南大門をくぐったときに、同じ質の空気を感じた。古い木の持つ質感やスケール感だけでは括れない共通項がそこにはあるのではないだろうか? |
酒船石遺跡 |
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ニュースでこの水を流す遺跡を見たときから、実際この目で見てみたいと思っていた。水が流れる部分の造形は、実際そこに水が無くてもその姿を想像させる。川の近くで生まれ育ったせいか昔から水に対して少し特別な感情を持っている。大学で海洋建築という一風変わった学科を志望したのも決して無関係ではない。ヴェネツィアが大好きで、アルハンブラ宮殿では水の扱いに狂喜乱舞し一日中猛暑の中歩き回った。
NHKの番組で此処は一種の儀式に使われ、かつては水が巡る都であったというCGが放送された。それは<近代>とは無縁の、されど豊かな都市であったのだろう・・・ |
閑谷学校 |
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備前の山間にある
せっかく此処まで来たのに雨だ・・・と思っていたが、軒から落ちる雨の筋を見ながらスケッチをしているうち備前焼の瓦から白糸のような筋になって落ちる雨を見られたことの喜びに変わった。<石>を通じて気になるモノを繋げていく過程で牟礼のイサムノグチ・アトリエに突き当たり、四国にも行った。建築雑誌で、ある住宅の<石>に目がとまり調べてみると、同じ名石工の手による竹原義二氏の作品であった。その竹原氏の作品集にこの閑谷学校が紹介されていた。 ある時、竹原氏にお逢いする機会があり、雨の閑谷学校の事をお話しするとこう言われた 「閑谷学校は雨だよ」 |
桂離宮 |
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案内を聞きながら立ち止まって描いた路地
プロポーションの感覚はデ・スティル的にもみえる |
龍安寺 |
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8ヶ月の旅を終えて、一息ついた頃、どうしても京都に行きたくなった
此処には雨に濡れる庭を見ながら30分程も居ただろうか |
直島コンテンポラリーアートミュージアム
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安藤忠雄設計の地中に埋められた美術館と宿泊施設。海と空と建築と芸術
その他には何も無いという贅沢を楽しむ場所 |
猪熊弦一郎現代美術館
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四国の丸亀駅前にあるこの「猪熊弦一郎現代美術館」は画伯の持っている全ての作品が寄贈されたところから始まった建築だという。画伯は「大きくて豊かな空間が良い」といい、建築家、谷口吉生はぎりぎりの緊張感を生むディテールでそれに答えた。
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高知・桂浜
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春の穏やかな日であったが、外海に面しているこの浜辺は時に強く荒れるのだろう。
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平和記念聖堂![]() |
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これだけ見るために寄った広島。名残の西日を受けて光る教会のファサードは思っていたよりも白かった。間に合ったと言うべきか。今井兼次に「放胆の極地」と言わしめた荒い煉瓦目地が深い陰影を刻む |
親和銀行本店![]() |
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白井晟一が、十年間三期の工事を経て完成させた希有の情念のこもった作品強い造形と独特の精神性溢れる空間。最上階のゆらゆらと揺れるチェーンのスクリーンが頭から暫く離れなかった |
二十六人殉教聖堂![]() |
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キリスト教の殉教者に捧げられた聖堂は、建築に圧倒的な情熱を捧げた建築家の殉教祈念碑でもあるように見えた。全国から集められた陶器の破片などを手作業で一枚ずつ貼り付け、一日中かかったものを又はじめからやり直す・・・建築家今井兼次はそういう建築家であったという。 |
奈良 唐招提寺![]() |
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唐招提寺で強く印象に残るのは柔らかなエンタシスを持った柱が明るくなっている部分である。人の手が磨き上げた光、それを浮かび上がらせる自然光・・・建築に刻まれた長い時間と人間との関わりをその柱の輝きが現している。 |
ヴェローナ庶民銀行![]() |
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初めて見たカルロ・スカルパの建築。それ以降何度も訪れ、相当の作品を追い掛けることになるのだが、このスケッチには初めてスカルパ作品に接することが出来た喜びを思い起こさせてくれる何かがある。1995年元旦のことだった。
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松島 五大堂![]() |
| スカルパは1978年11月28日、日本の仙台で客死した。一体何を見に行こうとしていたのか? 磯崎新の「奥の細道」に向かったのでは?という論を共有しようとずっと思っていたが、ワタリウムで開かれていたスカルパの展覧会パンフレットに、一緒に日本に来ていたブジナーロ氏がこう書いているのを見た。 「プロフェソーレは湖の中に浮かぶ小さなお寺を見に行く途中だったのです」 「湖の中の小さなお寺」を色々と探してみたが、なかなか思い当たらない。 そしてある時ふと五大堂の写真を目にした。 入り江にあるこの寺は見ようによっては湖の中にあるように見え無くもない。 居ても立っても居られず松島への列車に乗り込んだ。 あなたの見たかった風景はこれですか?と問いかけながら描いた一枚。 |
室生寺 五重塔 |
| 一人で車に乗り東北を一周したことがあった。 その途中酒田という町で谷口吉生氏設計の建築を見るために写真家土門拳の美術館によった。期待通り静けさと気品を持った素晴らしい空間であった。 その展示作品の中で私の目を引きつけて離さない一枚の写真があった。 「女人高野 室生寺」である。 2月のある寒い日思い立って新幹線に乗った。連休の初日だったので京都まで自由席のドア近くでずっと満員電車の様に混み合っていた。トイレにすら行けない状態。京都で新幹線を降りるとどうにか室生に宿の手配をし、列車・タクシーを乗り継いで室生寺に行った。 少し雪の残る寒い日、この瀟洒な五重塔をスケッチした。 翌朝宿の窓を開けると一面の銀世界だった。 普通のスニーカーという身なりであったが、ここの雪景色を撮るために半身不随になりながらその時を待ち続けた土門の気持ちを考えればじっとなどしてはいられなかった。 まだほとんど足跡のない新雪を踏みしめながら、あの金堂、あの五重塔へ向かう。 そこに<建築>があることによって自然がより美しく見えた 無意識のうちに2時間ほど経過し、宿に戻ったときは足は腫れ上がり、階段を上って部屋に戻るのにも苦労する有り様だった。 |