南仏+パリ紀行

2001.  3/19-3/30

久しぶりの海外旅行。

南仏では一度見に行ったル・トロネの修道院を含めたプロヴァンスの三姉妹と云われるシトー派の修道院、ローマ時代の水道橋、印象派の画家達のゆかりの土地を車で廻り、パリは妻にとって第二の故郷。当時通っていたカフェなどに案内して貰いながらいくつかの建築を見て回りました。

 気候が穏やかで特に南仏ではとてもリラックスした素晴らしい時間が過ごせました。

そして、美しい空間にも出逢いました。

旅の感動が美しい空間を創る原動力とならんことを祈って・・・

←ル・トロネにて


←ロザリオ礼拝堂 /ヴァンス

8時間の時差に朦朧としながら、ニースでレンタカー(ルノー・メガーヌ・カブリオレ)を借りだし、週に数回しか公開されないマチスの創ったロザリオ礼拝堂を見るためにヴァンスの町へ。

晩年のマチスが精力を注ぎ込んで創作した空間は白を基調に明るく、しかし軽すぎないモノだった。

ステンドグラスから射し込む光は床や壁に反射して不思議な包容力を生み出している。

マチスの作品で目に留まるのは<線>。

ここでも踊るような線がいつの間にかキリストのイコンに変化していたりする。

←ベネゼ橋 /アヴィニヨン

最初は130km/hと云う高い制限速度に面食らいながら、オートルートを3時間ほど飛ばして一気にアヴィニヨンへ。

夕日の中市内を散歩して、ベネゼ橋へ。旧法王庁がそびえ立つ市街を振り返ると、夕日に染まりとても美しい風景だった。

以前来たときは演劇祭の期間中で、騒然とした印象があったが、旧市街は別の町のように静まりかえっていた。

←ホテル クロアートル・サンルイ /アヴィニヨン

ここ、アヴィニヨンに急いで来たのには訳があった。

このジャン・ヌーヴェル設計のホテルに空きがあったのがこの日だったからだ。市内にあり、古い修道院の建物を改修しつつ新棟を建てているのだが、その改修は新しいモノと古いモノのぶつかり方を巧妙に計算した仕上がりとなっている。

赤、黒といった色彩の使い方も特有のクールな味わいとなっていて、シンプルな中にハレの場としての華やぎがある。同じ色調で統一されたレストランでの食事もワイン・料理と共に楽しい上質な時間を提供してくれた。

←セナンク修道院

リュベロン地方と云われるプロヴァンスの田舎道を車で巡ると、中世の都市の成り立ちが何となく分かるような気がしてくる。道路も中世の町を経由して次に向かうように出来ているので、一時の観光も出来る。

 プロヴァンスの三姉妹と云われるのは12-3世紀のシトー派修道院です。厳しい戒律で清貧な生活を送った宗派で、その建築も装飾を廃したストイックな空気で満ちています。以前訪れたル・トロネの印象があまりに鮮烈だったので、今回まとめて車で巡ることにしました。

この、セナンクで圧巻なのはその立地。鳥の声しか聞こえないような谷間を見下ろすと、修道院の建物と畑が静かに佇んでいる。俗世を離れて自給自足の生活を目指した決意のようなモノを感じます。

この石の空間(教会)は非常に背が高く、外部より冷たい緊張感ある空気で満たされていました。開口部も小さい

暗い静寂。

←シルヴァカーヌ修道院

リュベロンの田舎道を走っていると様々な景色が花の香りとともに現れては消えます。時折雨の降る天気でしたが、幌を開けたまま走っていました。

シルヴァカーヌに着くと薄日が差し始めました。

この<姉妹>は土地でとれる石の色もあるのだと思いますが、非常に明るく簡素な中にも<喜び>が満ちているように感じました。

 中庭も気持ちが良かったのですが、私がスケッチをしたのはこの大寝室。

 修道士が藁布団をひいて休んだ部屋なのですが、環境の過酷さを差し引いても尚ここには清楚な生活に対する喜びのようなモノが感じられたのです。

 そして、この日のウチにゴッホの居たアルルに入りました。

←レ・ボー

アルルはラテン系が強いのか、血の気が多い町だった。ゴッホが自分の耳をそぎ落としたのがアルルだというのは土地の影響もあったのではとすら感じる。

 アルルを後に中世に強大な力を誇ったというレ・ボーの廃墟に向かった。

 巨大な岩の上に築かれていた城塞はアテネのアクロポリスを思い起こさせる。強い風が吹き抜けていた。

旧市街が思いの外良く、穏やかな気持ちで昼食をとる事が出来た。

←ポン・デュ・ガール

ローマ時代の水道橋の遺跡。南仏にはかなりのローマ遺跡が残っているが、その度にこのスケールの建築を実現させていたものは何だったのだろう?と言う気持ちにさせられる。ニームに水を引くために創られたこの水道橋を端正なプロポーションに惹かれながらスケッチしていて、最後に人影を描き込んだときに改めてその大きさを感じた。

ここから法王庁の葡萄園-シャトーヌフ・デュ・パブに一泊。シトー派の修道院もそうだが、中世に栄えたところには大体葡萄園があり、美味しいワインを供給している。翌朝、目に入った醸造所で、ワインを購入してからオートルートに乗りエクス・アン・プロヴァンスに向かった。

←セザンヌのアトリエ /エクス・アン・プロヴァンス

外観はそれ程特徴のない建物なのだが、2階のアトリエにはいると、緑に染まった大きな窓が目に入ってくる。緑がすぐそこにあるという喜び。残念ながら中止になってしまった諏訪の家2が実現していたらこんな窓が創れたのにと、ふと思う。

セザンヌがスケッチに行くときに使っていたリュックなど遺品が無造作に置かれているこの空間を見ていると、パリで夢に破れたセザンヌが故郷でして居た生活というのはかなり精神的に豊かなものだったのではないかと思えてくる。

←サン・ヴィクトワール山

 いつもそこにあって、眺められる位置にセザンヌはアトリエを持っていたのかと思っていた。しかし、この山がある程度見える場所に行くには車でもある程度走らなくてはいけない。不思議に思って帰国後調べてみると、セザンヌは実際の風景よりも大きくこの山を描いていたという。そして、晩年に行くに従いその存在は大きく描かれるようになる。画家の目にはそう映って居たのだろうと感じる。

その白い山は眺めているウチに様々な色彩を顕してくる。いつの間にか水彩のパレットに様々な色を混ぜている自分を発見した。

←ル・トロネ修道院

エクスから、やっとの思いで夕方のトロネに着くと、休館日でもないのに閉まっている。ストライキだ。フランスではこの時期良くあることだという。サンポールのコロンブドールという芸術家が逗留していたことで有名な宿を取っていたので、この日はコートダジュールに戻り、翌朝また1時間半かけてこの修道院にやってきた。前回は夏、人も多くこの祭壇には仮設のステージとスピーカーが置いてあった。だからこの美しい姿には初めて対面することが出来た。昼休みまで余り時間が無かったので、一番美しいと思う部分だけを描いていた。

 ずっと探していたところ、先日再販された「粗い石」を買い求め、この旅行中読んでいた。それはこの修道院の建設をテーマに書かれた小説。厳しい生活と建築をすると云うことの素晴らしさ、辛さが描かれている。そして、結果出来上がった建築は閑かで、かつ饒舌だ。

 この祭壇に射す朝日を見せるためにストライキがあったのかもしれないとすら思えた。

ここは特別な空間・・・。

←ユネスコ 日本庭園 / パリ

ブロイヤーなどの建築に囲まれたユネスコの一角にイサムノグチのデザインしたこの美しい庭園がある。

ニースからパリに

桜が満開で水と石の庭園に彩りを添えている。日本から連れて行った庭師とイサムの間で「日本的なもの」を巡って衝突があったと云うが、自身が日米ハーフであったノグチは日本庭園というテーマの中で自身の所在感と戦っていたのだろうと思った。そして、これはここにしかない空間。イサムノグチしか生み出し得ない空間となった。

 ここでは時の流れが心なし遅いような気がした。

←ラ・ロッシュ・ジャンヌレ邸 / パリ

ル・コルビジェ設計のこの白い家は外装の化粧直し中だったが、内部の見学は可能だった。内部ももう少し<白い空間>を連想していたのだが、思いの外、彩度が強い。様々なところから<抜け>がデザインされている楽しい空間だった。

 いくつかの建築を見に行ったが、パリで最も印象に残っているのは美味しいデザートと共にのんびりと過ごしたカフェでの一時。

そして、増水して川沿いの道がすっかり埋まってしまったセーヌをいつも傍に感じながらの散歩。

「豊かな日常」があると言うことの大切さ、だろうか?。

・・・等と考えながら日本への飛行機に乗った。



Back

e-mail

(c)Takeshi Hirobe

データの無断転載を禁じます