
関西新空港がレンゾ・ピアノの設計で建設されることが決まった頃
そこから、海上を伝ってアプローチできる海上迎賓館を創ったらどうか
というテーマで卒業設計を進めた。
「今、国家様式を問う」という文明開化以来日本人が抱えた命題を、事もあろうに持ち出してしまった。
今の国会議事堂の様式をどのようにするかと言うことが論争された。
和洋近代の葛藤を繰り返しながら、結局提出直前に
「様式なんて云うモノは作り手が自分で名付けるものではない」
という結論に行き着く。
そして、テキストとしてそこに至るまでの経緯を最小限の言葉で記した。
全く線が引けなくなると云う違った意味での苦悩から解放されたという意味で
一つのディプロマ(卒業証書)を得たように思う。
